JCO版私の履歴書 #002 日本収納デザイン協会代表理事 田中明子 (文字起こし)

『JCO版私の履歴書』。片づけのプロに過去現在未来の3枚の写真をもとにご自身の半生を紐解いていただく企画です。

第2回のゲストは、田中明子さん。日本収納デザイン協会代表理事 そして幸せ収納デザイン株式会社代表。JCO会員です。

ルーツは子どもの頃の図書館での体験!?

なんかいい感じの、昭和じゃなくて平成ですね。(笑)

最初に入社した会社のときの写真です。全日空(ANA)関連の系列会社で、名古屋空港にまだ国際線が飛んでいたころに入社しました。その後13年間航空会社関連でお仕事をしました。このお仕事をしながら身につけた技術が、今の仕事につながっているということで、この写真を出しました。

明子さん、これどこに映ってるんですか?みんな美しいですが、後ろの向かって左から3番目?なんだかトレンディドラマに出てくる女優さんみたいですね。

ありがとうございます。四半世紀以上前になりますけども93年ていつ?っていう話ですよね。(笑)

この仕事が今の仕事につながったというのはどういうことですか??

えっとですね。この制服はチェックインカウンターの職員と同じ制服になるんですけれども、私は航空貨物の取り扱いというのをしておりまして、全世界に送る航空貨物を飛行機にどのように積んでいくかを打ち合わせをしたり、現場の方と打ち合わせをしたりと、橋渡しをする仕事をしておりました。
で。ようは。狭い空間にいかに効率的に安全にそして時間通りに貨物を載せて送るかということを常日頃考えるお仕事でした。

毎回物が違うので、入れ込むのに一苦労ですよね。

そうですね。最終目的地が違えば、載せ方も変わってくる。例えば経由地があったとしたら、経由地で積み替える飛行機に合わせたプランを出発点から組むとか、割と天候に左右されることもありますし、そういったことを全部踏まえて考えての1便のプランを作って飛ばすというようなお仕事だったので。

明子さんはプランニングをやっていたわけですか?

そうですね。

実際に(貨物を)入れる人ではなくって。

入れる人ではないですね。私が書いたプランの通りに動いてくれる。逆に言えば
私のプランが間違っていたら現場が混乱する。もしくは、その飛行機が遅れる原因にもなるので、割と緊張感のあるお仕事でした。

すごく重要なお仕事ですよね。

航空貨物というのは、プライオリティ的には一番優先順位が低いんですね。お客様が1番、お客様の手荷物が2番、そして3番目が航空貨物ということになるので、一度何かイレギュラーが起きたり、プランが間違っていたということになると、貨物から降ろされてしまうんですよ。
なので、載っていかないとか、いろいろなことを含めてを想定しての1便をプランすることが今の片づけの仕事に、大変役に立っているというか、狭い空間をいかに効率的によく使うかということもそうですし、時間通りにということも含めて、いろんなことで、今のお仕事に役に立っているなぁと思います。

まぁ、当然この頃にこんなお仕事(整理収納・片づけの仕事)をするとは思ってもいなかったんですけれども。

そもそもこのお仕事に就いたときには、何か、この仕事をしたいと思ったというよりは、航空関連のお仕事って華やかだわ~みたいなのがあったんですか?

そうですね。このお仕事に就いたきっかけは、学校でアルバイトを募集していたんです。なのでアルバイトに入ってそのまま入社したという感じでしたね。

優秀なアルバイトだったからスカウトされたみたいな感じですか。

学校の仕組み的にも、バブルがちょっとね(笑)

そうですね93年。

バブルの雰囲気がまだ残っているときだったので、青田刈りではないですけれども。アルバイトからという仕組み自体があったんですね。
実際そこで働いた分が学校の単位として・・・というのもありました。そんな時代でした。

でも13年もお勤めされていたということは、その仕事にやりがいもあって自分にもあっていたということですか?

そうですね。楽しかったですね。この全日空の系列会社から、2年後にはアシアナ航空という韓国の航空会社に転職しまして、トータルで13年ですね。
セントレア(空港)ができたときは2人目を妊娠していて、通うのが難しくなってしまって退職したんです。
なので、あの時セントレアに通える条件が整っていれば、辞めずに今でも働いていて、偉い人になっていたと思います(笑)

なってそう(笑)

同期が今、みんな偉い人になっているので(笑)

片づけの仕事に入っていったきっかけは?

仕事を辞めてから専業主婦期間が5年ありますね。専業主婦期間を経ての起業になります。専業主婦をやっているときにですね、3人目の子が3歳になったら本屋さんでパートをするというのが私の夢だったんです。それは未だに叶っていないという(笑)

そこを深堀したい感じではありますけども・・・なぜ本屋さん?本が好きだったとかですか?

そもそも本が好きだったんですけども、もっともっと片づけのルーツを辿っていくと、小学校の時に市の図書館が家の目の前にあったんですよ。で、クーラーも効いてますし、涼みに行っていたんですけども、本を読むのが好きなのではなくて。
あの、本がカテゴリーごとに並んでいなかったり、1巻から10巻まで順に並んでいないと気持ち悪いじゃないですか。
そういうのをこっそり並べ替えたり・・・というのを、していました。今思えばですけど。

どこかにそれあって。専業主婦になって次何するねんってなったときにそこをやりたかったんですね。

全部後付けですけど(笑)

で、思い出していくとつながってきたな、と。

今、いろんなことをカテゴライズ、分けるということは非常に大事だという共通概念としてあると思うんですけど、図書館は確実に分類されてますよね。
だからこの世界はこういう分類がされているとか。例えば科学の世界はこういう分類がされているとか。 お料理の世界はこういう分類がされているとか。 分類分けがされているということを分かっているのは、おそらく図書館で整理していたことが役に立っているかなぁ。えらいぞ!小学生の私!というところなんですけど(笑)

本屋さんではなくてどっちかの方向に行ったわけですよね。それが2枚目の写真ですか?

そのお話は、前回の小島さんとの対談企画のときにしているので、詳しくは概要欄で(笑)
次のステップとして、番組を見てくださっている方は仕事を続けていく中で、やっぱりスランプに陥ったりとか、大変だなと思うときがあると思うんですよね。私も順風満帆にここまで来ていると思われがちなんですけども、いやいや本当にですね、廃業しようと思ったという話が次の写真です。