JCO版私の履歴書 #013 暮らし工房yamaneco 西川明美 (文字起こし)

『JCO版私の履歴書』。片づけのプロに過去現在未来の3枚の写真をもとにご自身の半生を紐解いていただく企画です。

第13回のゲストは、暮らし工房yamanecoの西川明美さんです。
片づけ大賞をJCOが主宰する前、ライフオーガナイザー主宰時に準グランプリも受賞しています。そんなお話も伺うことができるのでしょうか
それでは早速1枚目から拝見させてください。

小さなころから好きやこだわりがはっきりしていた

はい。これはスケート靴と彫刻刀が写っているんですが、よく片づけのプロになってされる質問が、どんな家庭で育ったとか、どんなお母さんだったとか聞かれるんですが、その辺はすごく普通で、公務員の裕福でも貧乏でもなく、お母さんが片づけが得意でもなく散らかってもいない。ごくごく普通の家でした。
じゃぁなんで?っていうと、私自身がモノを持つことにすごくこだわりを持つ子どもだったな。と思い返すと感じるんですね。
そしてこのスケート靴なんですが、実は最近撮った写真で、小学校5年生の時にお年玉で買ったスケート靴で。

明美さんの私物ということなんですね。

そうです。それが今もこの状態なんです。50年以上現役です。

現役ということは今も使われているんですか?

はい。

え?スケートやってましたっけ?

はいやってます。コロナ前までは現役でスイスイ滑っていました。

明美さんは、静岡の沼津にお住まいですよね。静岡っていうのはスケートが盛んなんですか?

いえ、私が小学校の時にスケート教室があって、その頃はスケート場が7~8軒ありました。で、スケート教室ではまって、ものすごくスケート靴が欲しくなって、そして意を決してそしてお年玉で買ったんですけど、それから毎年毎年行っていて、大人になって子育ての中でもやっていて。そのころまではまだスケート場があったんです。
その後ぐんぐん減ってしまったんですが、まだ富士急ハイランドなどが行ける場所としてあるんですね。夫も北海道出身でスケートする人なので、一緒に滑るんです。
このスケート靴は、私の一生の宝物です。
それだけ持ち物にこだわるところが、小学生の時には自分の意識の中にはあって。
選ぶ力をそのころから持っていたんじゃないかな。っていう感じです。
それが私の片づけのプロになる原点だったような気がするんです。

ルーツなんですね。

そう。好きなモノだけに囲まれたい気持ちは小学校の時に持っていました。そして、いろいろな一つ一つの持ち物を大切にする。そして好きなモノはとことん直して、このスケート靴も修理しているんですけど、直して持ち続けるということ。

そうとう綺麗ですよね。

2年ぐらい前に「リアット」さんで外見もきれいにしました。

スケート靴って革製ですよね。それに使うモノなので摩耗も出てきますもんね。こういうきれいな状態を保とうと思うと、結構大変ですよね。そう考えると2年前に生まれ変わらせるほど愛着もあったし、これからも使っていこう。まさにルーツなんですね。

そうです。スケートリンクに上がるとそこで刃を磨き、革を磨き、毎回手入れをして50年以上現役です。

すごい!

そういう風にモノに対する気持ち、愛着のあるモノだけを持つ子どもでした。
そしてもう一つ、この写真に写っている彫刻刀。
彫刻刀って、小学生の頃はセットで300円ぐらいが平均的な価格だったんですが、その当時すごくこれ(写真に写っている彫刻刀)を欲しがって。でもこれ刃物専門店で1本900円で・・・。

え?1本?

1本。

セットで300円で売っているというのに?

セットで普通学校で購入するというところにチェックを入れたらそれが児童的に届くっていうのが・・・

そうそう。だけど私はこれが欲しくて親にせがんで。なぜその情報を耳にしたのかは覚えていないんですが、欲しがって買ってもらいました。裕福な家じゃないのに。

ちょっと言ってもいいですか?その当時きっとちょっと変わった子って思われてる節もありましたよね・・・

(笑)親からはモノにこだわって面倒くさがられていたかもしれないですね。
その代わり、親に買い物連れて行ってもらった時に、「今日は何か1個買っていいよ」とい言われても、そこで自分のお気に入りに出会わなかったら、「今日はいらない」という子でした。はっきり『好き』がありましたね。

片づけ整理収納のプロになるべくして生まれた感じですね

(笑)思い起こすと。はい。
その後中学高校でも自分の好きな小物を持ち歩いたり、洋服選びもこだわっていて今も鮮明に服が好きだったなという頭の中の写真に残っています。
そうやってずっとずっと今もその気持ちで生きているんですが、結婚をして自分の家庭を持つようになった時、団地に住んでいたんですが、みんなと同じ間取りなのに、いつも「広い」とか「スッキリ」「キレイ」とか言われ続けていて。私好き?得意?上手?という意識が始まって、ちょっと得意になっておせっかいでお友達の家を片づけたりしたりして。
でもまだ全然素人時代でした。
その当時ほぼ主婦だったんですが、主婦の合間に短期のアルバイトや派遣の仕事をする中で、ものすごい感動的な会社に出会いまして。とても整っている状況で、それがショックに近い感動で、私の求めている世界はこれっだ!とすごく刺激を受けました。今考えるとそれが仕組化されていた環境だった。
ラベルがついていたり、(モノの)場所が決まっていたり、厳選されたモノがあったりと徹底した会社で、それを私なりに家庭に取り込んでやっていました。
その頃、もう1つ大きな刺激があって、近藤典子さんがメディアに出てられた頃で、それが「あ!私もこれがしたい!」ってものすごく思ったんですね。
その頃の周りの友だちに、何の根拠もなくなんとなく漠然としたモヤっとしたものですけど、「私、片づけの仕事したい!」って言っていたんです。
で、そんなことがあって今の家を建てたんですけど、1年ぐらいかけて自分の想いを全部盛り込んで、その家が、のちに考えるとすごく良く考えられていたなと。(笑)
整理収納に関しては素人時代でしたけど、いつもそんなことを考えていたな。というのがありました。

私、静岡の沼津の明美さんのお家にライフオーガナイザーということもあっていったことがあるんですね。確かに、今となっては片づけ整理収納のプロのお家ってみると「あ~整っているな。仕組化されているな」って思いますけど、そのお家を建てた時っていうのは、そこまで意識もなく、たぶん自分のマニアックなモノ選びも含めて、自分のオーガナイズされたお家っていうのがもう完成したんですね。素人の中でも。

素人時代に自分なりに片づけをするときに、なぜか分からないけど1回全部出して、片づけるって1回散らかるな、なんでかなって思いながら全出していたなって思い出しました。だからなんとなくそういう感覚があって。
それからそのあとまた勤めに行きます。
そこはやりがいがある環境で、その前に見てきた素晴らしい会社のノウハウを、注ぎ込んでいくんですが、その時また「やっぱり私はこれを仕事にしたい」と強く思いまして。
そこで詳しく調べていくと、整理収納アドバイザーという資格があるということを知り、勉強して2級1級と学び、一応プロ宣言するんです。それで友達や知り合いに、モニターになってもらってやっていく中、今度はライフオーガナイザーという資格が出てきて、「なになにそれ?」私はそっちに行くんだというなぜかそんな感情がわきました。
その頃は髙原さんが2級の講師で、2級は1回、そのあと1級、マスター(認定講師)と東京に通いライフオーガナイザーになりました。
その辺までが私の片づけの原点から、プロになるまでの話です。

では、プロになってからどういう活動をしたかっていうお話が2枚目ですかね。