『JCO版私の履歴書』。片づけのプロに過去現在未来の3枚の写真をもとにご自身の半生を紐解いていただく企画です。
第5回のゲストは、仙台暮らしのスタイリスト Maki Style の菅原まき子さんです。
子どもの頃から片づけ整理収納が好きでした
おーっ、ちょっとなんかセピアな感じ。
かなり古めかしい写真でございますが、私が1歳くらいの頃だと思うんですけど、母と一緒に、最初に住んでいた家の前で撮った写真です。
1枚目にこの写真を選んだ理由は?
片づけというキーワードで考えると、私はもともと得意不得意は別にして、好きだったというのがありました。それってどうしてかなぁと思うと、写真に写っている母がですね、結構きちんとしている母で、その影響がすごく大きかったのではないかなと思いまして、1枚目の写真に選びました。
この写真を撮ったのは仙台?
仙台ではなくてですね、生まれ育った塩竈市です。
塩竈市は宮城県?
宮城県塩竈市で、仙石線という電車で仙台から数駅行ったところです。10分もかからないでしょうか。最近では『鬼滅の刃』で「竈」という字が有名に。
なので、そこの一番最初に育ったなかなか渋い写真を出しました。
木造な感じというか・・何かご商売をされてたりしたんですか?いわゆる住宅街という感じではないですよね。
この近くに高校がありまして、そのすぐそばの階段を途中上がったところに家が2軒あるという、変わった形で建っていたんですね。1軒は我が家。もう1軒は叔母の家なんですけど、その間で撮った写真と思われます。
大家族でもなく親戚が近くにお住まいだった?
そうですね。親戚が近くにいたというだけで、兄と私、父と母の4人家族でした。
おじいちゃんおばあちゃんが同居されてたわけではなくいわゆる核家族?
そうです。小さい頃に祖母も祖父も亡くなってまして、記憶にもほとんどないですね。この写真のことも特に覚えてるわけではないんですが、この写真を見ると、この頃のお家の感じとか、平屋で狭かったけど、母はきちっとしていたな。みたいなことを思い出すんです。
菅原さん自身がもともと片づけや整理収納が得意だったことを思い出すのはどのぐらいの頃ですか。
この家には小学生まで住んでおりまして、同じ場所に建て替えて移り住んだんですけど、自分の部屋がなくて、兄と一緒のお部屋だったんです。そんな中でも机の向きを変えてみたりとか、自分の環境を何とか整えたいと四苦八苦していたことを思い出します。でもそれを楽しんでいた記憶がありますし、母にも「よく変えていたわよね。」となんていう会話を大人になってからもした覚えがありますね。
お片づけしなさい!と怒られることなく?
なかったです。まぁ母から見たらまだまだなところもあったと思いますが・・・厳しめな母だったんです。
お母さまが結構、空間を整えることも躾されていた感じがあるのかもしれないですね。
そうですね。暗黙のうちに何となく片づけていたんじゃないかな。怒られる前にしようというのもあったのかもしれません(笑)
でもそれは嫌々ではなく、楽しんでいましたが、お友達の家に行って机の上が乱れていても怒られないというのを見て、あれ?怒られないんだ。って(笑)
ではもういわゆるスタンダードは、机の上は使ったモノは当然元に戻して、何もしないときは何もないのが当たり前。
にもかかわらず、友達の家では放置されてるけどおかん怒らへん!みたいな(笑)
それも本当にちょっとじゃなくてすっごく山積みになっている友達の家だったので、あれ?怒られないんだ・・・ってとても不思議でした(笑)
結構英才教育レベルですね(笑)
なので、習慣としては身についていたのかなと今振り返ると思いますね。
それってお兄様も?
兄もそうですね。母から「○○しなさい!」と言われたことはないですね。
兄弟姉妹でお部屋を一緒に使っていると、たいていどっちかが汚くて、どちらかがきれい好きで。ここで喧嘩が起きるみたいなことがありがちですけど・・・
そういった喧嘩はないですね。
基本どのお部屋も整っているお家で育ったんですね。
自分のお家になってからはもう少し緩まってもいいんじゃないかみたいな気持ちにはなりましたけど、でも基本・基盤はこの母にあり。だと思っています。
2年前に他界してしまったので、思い出とそこがリンクしている感じがして時々思い出しています。
写真3枚ご用意いただいているんですが、2枚目ご紹介いただけますか?