『JCO版私の履歴書』。片づけのプロに過去現在未来の3枚の写真をもとにご自身の半生を紐解いていただく企画です。
第6回のゲストは、オーガナイジングサービスの岩崎美乃さんです。
建築現場が身近にあった幼少期
この写真はですね。子どもの頃、いとこのお姉ちゃんと作業場で撮った写真なんですけど。
この女の子、美乃さんなんですか??
小さい方が。私でございます。
かわいらしい!
木材の上に、トタンがかぶせてあって、その上でお姉ちゃんと一緒に写っている写真なんですけど、もともと、私の家は祖父の代から住宅の建築をしている家に生まれまして。子どものころから遊び場というと、こういう作業場で遊んでいて、作業している大工さんの音を聴きながら大きくなったというところがあります。
美乃さん、今北海道の函館にお住まいですけど、この写真も北海道?
そうです。北海道函館の隣町の七飯町で、生まれも育ちも七飯町です。
この写真の場所も七飯町で撮ったものです。
小さい頃から家などに携わる環境だった
そうですね。当たり前みたいな感じですね。木材だとかそういう建築系のこと。
職人さんが来たりするというのは、自分の生活の中で、毎日あるようなことですね。
今は危ないからと子どもが建築現場に入るのは厳禁ですけど、昔は上棟式だったりとか、建築現場、大工さんが仕事をしているところに子どもも遊びに行かせてもらったりとかしたことありましたよね。そんな感じですかね?
上棟式とかもいいんですけど、お転婆だったので、母からは作業現場には行かない、木材に上らない!って言われてましたけど(普段から行ってました)。
危ないですからね(笑)
(危ないと)言われていたことは大体やっていました(笑)
ちなみにこの写真は何歳の頃ですか?
これはですね。写真の裏を見たら3歳と母が書いてくれていました。
じゃぁ物心ついたときには、そういう家づくりに携わるような職人さんの中に入って暮らしていたみたいな。
そうですね。
岩崎さんは1級建築士をお持ちなんですよね。
はい。そうです。やっぱり家が建築系の会社をしている家だったので、親の進め方がうまかったのかどうなのか・・・建築の方を志して、学校卒業後には埼玉の積算事務所で積算(建物の数量や金額を出す仕事)をして、そこから北海道に戻ってきて、住宅設計の仕事をしていました。
じゃぁ親の勧めもあってその仕事に就いたという感じなんですね。
私がずっとやってみたいと思って、そこを目指してたというよりも、何となくそっちにいっちゃったという(笑)
職人さんの忙しさを見ていたら、どうしても違う方向に進みたいといった感覚になるのかな。と思ったりしたんですけど、同じ道を進んだんですね。
最終的にはやっぱりそっちの方に行ってしまったというのは、どっかで好きだったんでしょうね。きっと。
埼玉の積算事務所から、北海道に戻って一般的な戸建ての住宅。
住宅の設計を担当していました。
では住宅設計の仕事を何年もそこから。
そうですね。オーガナイザーになる前まで。ちょうど会社が廃業になる・・・
会社が廃業??
実家の会社が廃業になって、奇しくもというかオーガナイザーとして呼ばれたといみたいな頃(笑)
でも住宅設計と片づけ整理収納、ライフオーガナイザーも含めて、そういう空間を整えるというときに、設計者だけではなくて、というのは結構認知されてきたというか私たちが認知させようとしていますけど、12~3年前ってまだまだ片づけ整理収納って仕事自体もあまり認知されていなかったですし、そこ(片づけ整理収納)とインテリアや住宅設計っていうのがそんなに結びつくと考える人って少なかったと思うんです。
美乃さんひらめいたんですか?
ただあの、昔でいえば、40坪で何千万みたいな。居間があって何があって一間とか、1m80㎝の収納がいくつついていればいいだろうみたいな作り方では、やっぱり家って片づかないし、みなさん暮らし方が違うから、それに合わせた間取りだとか収納っていう風にして行かなければならないんだろうなぁ。と感じていたんですね
そしてオーガナイザーになればなるほど、建築にはオーガナイズが必要だと、どんどん、ひしひしと感じるというか・・・
私が美乃さんをライフオーガナイザーとして育成するという立場だったので、美乃さんとはお付き合いが長く、ある程度よく知ってますけど。
最初にやっぱり片づけ整理収納とかそっちに一級建築士が向くっていうのは、何か大きなきっかけがないと動かないんじゃないかな。と今でも疑問としてあるんです。
それが2枚目の写真になるんです