JCO版私の履歴書 #007 株式会社ナイリ代表 内藤理恵子 (文字起こし)

『JCO版私の履歴書』。片づけのプロに過去現在未来の3枚の写真をもとにご自身の半生を紐解いていただく企画です。

第7回のゲストは、株式会社ナイリ 代表の内藤理恵子さんです。

自分の人生はラッキーばかり

私の家族ですね。両親と兄と妹がおりまして、お菓子を食べているのが私です

これが内藤さんのルーツですね!

1975年に愛知県の渥美半島で生まれました。ここで11歳まで育ったんですけど、そのあと静岡県に引っ越しました。
あの、私は自分の人生ラッキーだと思っていて、
例えばですね。小さい頃なんか、特に絵がうまいというわけではないのに毎回賞を取ったりだとか、字がすごいうまいわけではないのに習字の大会で金賞を取ったりとか、英語なんかも大の苦手で、本当にそれがコンプレックスなんですけど、その英語でスピーチコンテストにも出たことがあって、それで賞をいただいたりと、すごくラッキーなんですね。

それラッキーというか、ただの優等生じゃないですか!(笑)

(笑)本当に違ってただのラッキーなんですよ。全然そんなに。本当に残ってないんです。そういった絵が上手や字が上手といったところが全然残ってないので(笑)
でも唯一得意だったのが、マラソンだったんですね。走るのが結構好きで、しかも短距離のような瞬発力のではなくて、長距離。持久力というか。走るのが結構得意だったんです。
それが今、体力とか精神的な部分で仕事に役立っているなって。感じています。
大学では電子情報工学科といってプログラミングの勉強をしていたんですね。
そのときにも210人中10人女子という男性が多い環境で。そんな環境にあったせいか、勉強よりも麻雀にはまったんですね(笑)

麻雀!意外な感じ(笑)

もうどっぷり麻雀にはまりまして(笑) そこの大学が、学生の半分は留年するといわれていた大学で、実際210人中100人留年しているんですね。
で、その中でも留年せずに卒業ができたんですよ。それも本当にラッキーだな。と。
就職も就職活動を実はしていなくて、大学の推薦をもらって、私静岡に就職したかったので、静岡に就職する人もそんな少なかったのと、枠的に空いていたということで、おき電気という会社のおきソフトウエア株式会社にプログラマーとして就職して、防衛庁関係の仕事をしていたんですが、ほんとこれもラッキー!(笑)な感じの人生っていうかな。この仕事に関わる前がこんな感じでした

穏やかで常に笑顔で。でもこうお話を聴いていたりすると、この写真でもちょっとやんちゃそうですし、麻雀やマラソンと結構ギャップがあるんですね。

それはね、お客様でも時々言われて、写真で見る印象と、ピンポンからのおしゃべりしてからの印象と全然違うと(笑)

そうですよね。なかなかここまでギャップがあるのは珍しい!と思ってしまう。走ってる時もはたで見ていそうなのに

全然(笑)もう本当に落ち着きのない感じのそういう子でしたよ

それだけラッキーだとご自身で思いつつ過ごしてきた大学生までの生活だと思うんですが、片づけ整理収納のプロになろうと思ったのは2枚目にありますか?

はいそうですね。2枚目は