JCO版私の履歴書 #011 ゆうゆう素敵工房 伊藤 寛子 (文字起こし)

私の人生を変えた本との出会い

これは私の人生を変えた本です。
よく、人生を変える1冊の本というお話をされる方がいるんですが、本当にそういう事があるんだなということを実感しました。
図書館に行くことがすごく好きだったんですけど、行くと暮らし系・ライフスタイル系の本を借りるか、住宅・建築系の本を借りるか。大体そこばかりを見ていたんです、いつも。文学系とかではなくて(笑)
で、その本をいろいろ見ている中で、あるときこの本が私にピカっと合図を送ってきたんです。それまで何度もその棚の場所に行っているのに、初めてこの本があることに気がついて。借りてきて読んだ時に、これは私の進むべき道だと思ってしまったんです。
この福祉環境コーディネーターは私の進むべき道だと。
そしてその著書は町田ひろ子せんせいという、町田ひろ子インテリアコーディネーターアカデミーの先生で、ちょうどその専門学校のことが本の後ろに載っていたんですね。
その後ろのアドレスなどを見ながら、学校を検索したら、これは私の行くべき学校!だと思って。その時がちょうど6月頃だったと思います。
そのあとに夏になってこの学校で1日講習があったんです。1日コーディネーター関係の授業をするのでお試しにどうぞという。
それに1日行ってみたら、もう私はこの学校に入るべき!入らずしてどうするの!となってしまって、夫に学校をやめてこの専門学校に入りたいと相談しました。
その時にはもう子供たちも成人していたので、「いいよ」っと言ってくれまして。

ご主人も学校の先生ですよね。

はい。

当然その時は学校の先生として働かれていて、伊藤さんも学校の先生だったのをやめてもいいかと聞いたわけですね。

はい。で、OKが出ました。それで次の年に入学しました。

ちなみにそれまでの教員生活は何年だったんですか?

31年です

じゃぁ31年働いて、定年までではなく、早期退職みたいな感じで。

辞めたのは53歳です。

この本がすごく大きなきっかけとなったというのが、そこだけでも分かりますよね。

はい、定年まで勤めるつもりでいたんです。
で、30周年の記念にお祝いの品をいただいたときに、教員仲間に私は第3コーナーを回ってゴールまで一直線です!って言ったのに、第3コーナーを回りきらずに場外に飛び出してしまったっという風に思っています(笑)
この専門学校がどういうところかもわからず、とにかく勉強したいの一心でなんと全日制に入ってしまいました。
実は全日制が何かもよく分かっていない。そしたらクラスメイトが30代が4人で、あと残りは全員20代で、40代はいなくて、あとは私ひとり。何というアンバランスだったんでしょうか(笑)

先生から生徒にいきなり変わっちゃったっていう感じですものね。

そうなんです。そうしたら面白いんですよ勉強が。
人生の中でこんなにたくさん勉強したことはないと思うほど勉強しました。それがまた面白くて仕方ないんですね。
そして毎日のように課題が出まして、土曜日も日曜日もショールーム巡りだとか、よく勉強しないと、プレゼン作りをしないとやっていけません。
全部で3回ぐらい徹夜をしたかしら・・・でもおもしろいんですよ。
ほんとに卒業したくないと思うほど、おもしろかったです。

でもその専門学校というのは、インテリアコーディネーターの専門ですよね。

そうです。勉強することが大きく3つあって、1つがインテリアコーディネートの勉強。もう1つが建築の勉強。製図をしたり・・・3つ目がパースでした。
今ではパースは3Dで機械で描いたりするんでしょうけど、まだまだ手描きのこともすごくあって、わたし、その時にパースや絵を描くことが好きなんだということが分かりました。
だからとても楽しかったです。

ここまでしっかりインテリアコーディネーターを学ぶと、ずっとその道一直線といった感じがするんですが、そこから片づけに路線を変えたんですよね。

そうなんです。そこから変えたんですけど、卒業する時は54歳になっていたんですが、若い人とはセンスが全然違うんですね。私は横文字が分からない、それから感覚的にも私の方が古いということもあって。
それから時代もバブルの時期を少し過ぎていたので、コーディネーターの需要も少なくなってきてたんですね。
そんな中で他にもいろいろと試験を受けていたんです。
福祉住環境コーディネーターはもちろん、キッチンスペシャリストの資格も取得しました。ずっとこういろいろと試験を受けていたんですが、それをしている間にある本をいただいたんです。その本にハウスキーピング協会の整理収納アドバイザーが出ていたんです。
その整理収納アドバイザーのところを読んだら、これはまさに私がなるべき仕事だ!とまた(笑)

それ福祉住環境コーディネーターの時も思いましたよね(笑)

そうなんですよ(笑)整理収納アドバイザーでも思ったんです。
で、インテリアコーディネーターよりも、私は片づけの方が得意・大好きで、小さい頃からそのあたりがつながってきている・・・と思ったところから今まで、もう一直線できてしまったんですね。

そしてJCOの代表理事でもある収納王子コジマジックと一緒に仕事をしている

そうなんです。
個人でゆうゆう素敵工房を始めたときに、一番最初に来た仕事がすごいんですよ。私の知り合いの方のご家族が、家を建てる。その方が伊藤家に相談に来たんです。で、我が家を見て次におっしゃったのが、「自分の家の間取りを作ってください!」
1番最初の仕事がそれだったんです!

すごい!でもインテリアコーディネーターの資格も取っているし、建築の勉強もされているから、っていうのもありますよね。

はい。で、そのお家の間取りを作って、そのあとは工務店にお任せしたんですが、いまだにそのご家族が快適に暮らしているというのを聞いて、嬉しく思っています。

では最初はその建築のお仕事からスタートして、この整理収納の割合が多くなったタイミングはどこですか?

建築系の仕事は最初の1件だけで、あとは片づけの仕事です。
その頃の私の仕事の仕方というのはホームページなどは考えていなくて、知人や友人にこういう仕事を始めましたというハガキを出して、ボチボチやっていました。
なぜそうしていたかというと、専門学校に入った時までは親がすごく元気で、私も休むことはなかったんですが、そのあとだんだん親が弱ってきたり、介護が必要になってきて、半分は介護というような感じになりまして、そうすると、この道1本で大々的にやる日はちょっとやっていけないということもあって、両方できるような働き方をしてきました。
そんなこんなしている間に収納王子コジマジックと出会って、そちらの仕事を受けたり、個人の仕事を受けたりとやってきたんです。
その中で、夫が退職しまして、夫も退職したけどやっぱり学校に恩返しをしたいなというような話が出て、学校の中で片づけというか私たちのこういう仕事がかかわったならば、もっと学校の先生方が授業をやりやすくなるんじゃないかと思い、図工室の整理を始めたんです。最初は夫が始めたんですが、私もついて行って、二人三脚で進めてきたんです。ですから個人宅プラス学校という感じです。
でも学校はほとんどお金がなかなか出ないので、だから半分ボランティア

社会貢献の一環

そうですね。で、知っている校長や先生のところを訪ねては、「やらせてください」というこちらからお願いする形でやらせていただいたり、あと、自分が住んでいる地域の小学校にボランティアで入ったり、そういう活動を始めました

それが3枚目につながるわけですね。

はい。